戎福中講は、古くは現在の櫓部屋に並んであったとされる「講戎」と「若戎」の二台の櫓が合併して成立した櫓であると伝えられています。
しかし、いつ頃造られた櫓であるのか資料等が発見されていない為定かではありませんが、彫り師は鳥獣物や髪の毛の彫りの特徴から、桝屋又兵衛(初代彫又)もしくは西岡又兵衛(二代目彫又)ではないかとと考えられております。
彼等が活躍したとされる文化(1804)・文政(1818)から元治元年(1861)の間に造られた櫓であると思って差し支えないかと考えます。
 彫り物においては、正面の拝懸魚に隣懸魚(桁隠し)、勾欄の擬宝珠の蓮、小屋根の飾目など他の三台と違った独特の形式が見られ、古来の彫り物を継承した現存する樽井の櫓では最古の彫り物ではないかと考えられています。

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