他地区では襷(たすき)に紋を入れているところもあり、参拾人組(他地区では青年団に相当)より襷に梅鉢紋を入れても良いかと言う問いかけがありました。と云うのも何故か戎福中講の飛檐垂木には梅鉢紋が彫られていたためです。
その後の調べで解ったのですが、以前の大改修時にお願いした大下工務店の方針で、特に指定が無い場合、飛檐垂木には岸和田天神宮の御神紋である梅鉢紋が入る様です。本来は、茅渟神社の御神紋である左三つ巴を使用するのが良いのでしょうが、茅渟神社のお膝元にある宮元講の紋の印象を受けるのと茅渟神社は菅原道真公もお奉りしているので梅鉢紋も関係無くはないのですが、戎福中講の紋に相応しいかと考えるとそうは思えない。なら、戎福中講と最も関係が深かったと思われる恵比須社(山之井神社)の御神紋を使おう。恵比須社の御神紋にはどう云う紋が使われていたのか今では解らない。それならオリジナルの紋を作ろうと云う事になり、戎福中講参拾人組で考え出された紋が下の紋です。中央に茅渟神社の御神紋である左三つ巴を、周りは戎社の御神紋である蔓柏紋をあしらった素晴らしいオリジナルの紋が出来上がりました。