戎福中講の小屋根の彫り物は、平成の大改修で「木下彫刻工芸」にお願いしました。大屋根の彫り物に負けず劣らず、迫力のある彫り物に仕上げて頂きました。
初代 木下舜次郎

  明治43年(1910)に生まれ、昭和47年9月19日歿す。享年62才・法覚舜浄信士。 
  淡路津名郡生穂生まれで、一説には正藤(開 正藤)の門を叩き断られたとも聞くが。
三代目黒田正勝が精魂込めて作り挙げた名作彫物以上の不世出の名匠の一人。淡路生穂萬屋(松田)正幸の兄弟子。人は二人を称して〝黒田の龍虎〟と呼ぶ。
 舜次郎おればこそ〝地車ブームを一手に背負い日夜苦心惨憺ノミを振る泉州岸和田<木下>一門生まれけり!〟」
  舜次郎は、[淡路美木彫家舜作]と銘刻む不運の名匠であり「銭もいらなきゃ、名もいらぬ。酒さえ飲めりゃ~それで良い。徳利離さずノミを打つと云う職人気質の彫師であった。
  美木彫家舜次郎は、泉州人にとって自慢出来る彫師であり、地車本場泉州岸和田で骨埋めた四人の内の一人である。四人とは、関東彫の名匠一元林峯(北見林蔵)・同川島暁星(高之助)・そして、木下舜次郎・舜次郎一番弟子筒井嶺燁(和男)の四人である。

 作品
昭和 4年      岸和田市上町地車
   〃       現和歌山県橋本市御幸辻地車(元和泉市内田町地車)
昭和 6年      泉大津市田中町地車
昭和 7年      泉大津市豊中地車
   〃       先代泉大津市板原地車
昭和 8年      兵庫県芦屋市打出地車
昭和 9年      和泉市観音寺地車
   〃       堺市鳳野田地車
昭和11年      東大阪市稲田中地車
   〃       岸和田市西之内町地車
昭和12年      現高石市元町地車(元岸和田市包近町地車)
昭和14年      岸和田市岡山山出地車
   〃       現高石市北村地車(元岸和田市岡山東出地車)
昭和15年      岸和田市大手町地車
   〃       東大阪市北蛇草地車
昭和22年      和泉市府中南之町地車
   〃       岸和田市八阪町地車
昭和26年      岸和田市中之浜地車
   〃       東大阪市玉串地車
昭和27年      貝塚市東地車
   〃       大阪市生野区西足代地車
昭和28年      岸和田市上松町地車
昭和30年      大阪市西淀川区野里中之町地車
昭和31年      岸和田市土生町地車
   〃       岸和田市山下町地車
昭和32年      岸和田市八田町地車
   〃       現岸和田市南上町地車(岸和田市中北町地車)・・・・・・等。
  寺社等では、高野山恵光院・地蔵院・総持院などに多くある。岸和田市内では、尾生町菅原神社・下野町共同墓地内釣鐘堂等である。

二代目 木下賢治

 昭和17年7月30日生~。
 名匠美木彫家舜次郎跡目息子で二番弟子。物心付いた頃には木っ葉の中と云う生粋の彫師で、11才時にはすでにノミを握って折、昭和32・3年(16才)の多忙時には父の助として、兄弟子嶺燁と二人で一人前の仕事をこなしたと云われている。
 父舜次郎歿後・跡目を継承し現在に至る。
 地車等が下火となりブーム再来を告げる昭和40年代後半までは、西洋家具彫刻等で糊口を凌ぐ。当時既に関西の家具彫刻仲間内では、木下賢治の名は知れ渡っていたと云う。
 〝待てば海路の日和あり〟という諺どおり、昭和40年代後半から、再ブーム突入の兆しが見え始めるや地車彫り物を手懸けてゆくが、昭和53年病に倒れる。
 永い闘病生活を経て、昭和61年には見事再起第1作と人が云う岸和田市吉井町地車を完成し、二代目<木下賢治>復帰を飾る!と大向うを唸らし、翌年には岸和田市春木戎町地車と云う名作を送り出している。
 岸和田市八木地区では、今は亡き兄弟子・嶺燁作荒木町地車と弟弟子賢治作吉井町地車が華と咲き、地車見物に訪れる人々の眼を楽しませている。
 此の2台を手始めに、木下賢治の手懸けた作品として列挙したすべてにも名作を刻んでいる。
 此の賢治師は、病に冒されず五体満足であったなら、既に師であり父でもある美木彫家舜次郎を飛び越していると人は云う。

 作品
昭和53年      堺市堀上町地車・・・請負のみ
昭和60年      堺市深井東町地車
   〃       堺市深井畑山町地車
   〃       堺市深井沢町地車
昭和62年      岸和田市吉井町地車
   〃       泉大津市元町地車
   〃       堺市深井清水町地車
昭和63年      岸和田市春木戎町地車
   〃       泉大津市宮本町地車
平成元年      貝塚市久保町地車
   〃       泉大津市西之町地車
平成 2年      岸和田市西大路地車
平成 3年      泉北郡忠岡町仲之町地車
   〃       岸和田市積川西地車・・・・・・等。
小屋根車板:【漢楚軍談】「劉邦 芒蕩山に白蛇を斬る」
小屋根(右)幕板:【漢楚軍談】「項羽 重さ五千斤の鼎を持ち上げる」
小屋根(左)幕板:【漢楚軍談】「樊噲、鐵門を破る」
小屋根欄間:【七福神】(右)「寿老人」、(左)「大黒天」
作業風景

※ この頁に掲載している写真は全て戎福中講若頭K.K様よりご提供頂きました。
  何れの場合においても転載禁止です。

参考資料:『大坂・浪速木彫史』
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