戎福中講は、その名が示す通り恵比須天から名付けられたと思われますが、欄間の彫り物には恵比須天を中心に七福神の彫り物が施されています。この頁では七福神について書いて行きたいと思います。

参考:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

七福神
大屋根(正面)欄間:【七福神】「恵比須天」
小屋根(後正面)懸魚:【七福神】「波濤に恵比須天」
えびすは日本の神で、外来の者を意味する。夷、戎、胡、蛭子、恵比須、恵比寿、恵美須などとも書く。えびっさん、えべっさん、おべっさんなどともいう。現在では一般に七福神の一員としての福の神であるとイメージされるが、それは中世以降の信仰で、由来をたどると非常に複雑な経緯を持つ。実は、えびすを称する神は複数あって、イザナギ、イザナミの子である蛭子命(ひるこのみこと)か、もしくは大国主命(大黒さん)の子である事代主神(ことしろぬしかみ)とされることが多い。そのため、同じえびすを祀る神社でも、場所によって神は異なっている。また、少数であるが、えびすを少彦名神や彦火火出見尊とすることもある。
大屋根(右側面右)欄間:【七福神】毘沙門天
毘沙門天(びしゃもんてん, 梵 Vaiśravaṇṇa)は仏教の護法神である天部の1つ。別名を多聞天(たもんてん)。古代インド神話のクベーラ(音写:金毘羅)が仏教にとりこまれ、ヴァイシュラヴァナとなった。 毘沙門はその音写である。 また、多聞はその訳「すべてを一切聞きもらさぬ知恵者」の意である。
毘沙門天は四天王の1つとして須弥山の北方を守護するとともに、中央アジア、中国、日本など広い地域で独尊像として信仰の対象となっている。日本の民間信仰においては七福神の1つにも数えられている。日本においては、四天王の1体として造像安置する場合は「多聞天」と呼び、独尊像として造像安置する場合は「毘沙門天」と呼ぶのが通例である。日本では俗に勝負ごとの神とされ、七福神の1つとして庶民の信仰を集めてきた。
大屋根(右側面左)欄間:【七福神】「弁才天」
弁才天(べんざいてん)は、仏教の守護神である天部の1つ。ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティー(Sarasvatī) が仏教あるいは神道に取り込まれた呼び名である。経典に準拠した漢字表記は本来「弁才天」だが、日本では「才」が「財」の音に通じることから財宝神としての性格が付与され、「弁財天」と表記する場合も多い。本来、仏教の尊格だが、日本では神道の神とも見なされている。弁天とも言われ、七福神の一員である。仏教においては、妙音菩薩(みょうおんぼさつ)と同一視される事がある。
大屋根(左側面右)欄間:【七福神】「福禄寿」
福禄寿(ふくろくじゅ)は、七福神の一つ。道教で強く希求される3種の願い、すなわち幸福、封禄、長寿の三徳を具現化しものである。宋の道士天南星の化身や、南極星の化身(南極老人)とされ、七福神の寿老人と同体、異名の神とされることもある。 福禄人(ふくろくじん)とも言われる。
大屋根(左側面左):【七福神】「布袋尊」
布袋尊(ほていそん)とは、日本では七福神の一柱であるが、元来は中国唐末の明州(浙江省)に実在したとされる異形の僧・布袋(ほてい)のことである。本来の名は、釈契此であるが、常に袋を背負っていたことから付いた俗称である布袋という名で知られる。四明県の出身であるという説もあるが、出身地も俗姓も不明である。図像に描かれるような太鼓腹の姿で、寺に住む訳でもなく、処処を泊まり歩いたという。また、そのトレードマークである、大きな袋を常に背負っており、僧形であるにもかかわらず、生臭ものであっても構わず施しを受け、その幾らかを袋に入れていたという。或いは、雪の中で横になっていても、布袋の身体の上だけには雪が積もっていなかったとか、人の吉凶を言い当てたとかいう類いの逸話が伝えられる。もう一つ、彼が残した偈文に「弥勒真弥勒、世人は皆な識らず、云々」という句があったことから、実は布袋は弥勒の垂迹、つまり化身なのだという伝聞が広まったという。
その最期も、不思議な終わり方であり、仙人の尸解に類している。天復年間に、奉川県で亡くなり、埋葬されたにもかかわらず、後日、他の州で見かけられたというのである。その没後あまり時を経ないうちから、布袋の図像を描く習慣が江南地方で行われていたという記録がある。
中国では、その後、弥勒仏の姿形は、日本の布袋の姿形となり、寺院の主要な仏堂の本尊に、弥勒仏として安置されるのが通例となった。日本でも、黄檗宗の本山万福寺で、三門と大雄宝殿の間に設けられた天王殿の本尊として、四天王や韋駄天と共に安置されている布袋尊形の金色の弥勒仏像を見ることができる。 また西欧人にこの像は、マイトレーヤ(Maitreya 弥勒)と呼ばれる。
なお、布袋尊を、禅僧と見る向きもあるが、これは、後世の付会である。『宋高僧伝』では、巻21の「感通篇」に「唐明州奉化県釈契此」という名で立伝される布袋尊の伝には、彼と禅との関係について一切触れていない。布袋尊と禅宗の関係が見られるのは、時代が下がって、『景徳傳燈録』の巻27、「禅門達者雖不出世有名於時者」として、梁の宝誌や、天台智ギ、寒山拾得らの異僧・高僧たちと共に、「明州布袋和尚」として立伝される頃からのことである。
小屋根(右)欄間:【七福神】「寿老人」
寿老人(じゅろうじん)は道教の神で南極老人星(カノープス)の化身でもある。酒を好み赤い顔をした長寿の神とされ、日本では七福神の一人として知られているが、福禄寿はこの寿老人と同一神と考えられていることからかわりに猩猩を入れたこともあった。
小屋根(左)欄間:【七福神】「大黒天」
大黒天(だいこくてん)は、天部と言われる仏教の守護神達の一人で、元々はヒンドゥー教のシヴァの憤怒の化身。本来はマハーカーラといい、マハーは「偉大な」、カーラは「時」もしくは「暗黒」を意味し、「大暗黒天」とも呼ばれる。青黒い身体に憤怒の表情をした神であった。日本においては、七福神の一柱の大黒様として知られている。
当初の大黒天は、破壊と豊穣の神として信仰され、後に豊穣の面が残り、食物・財福を司る神となった。
日本に於いては、大黒の「だいこく」が大国に通じるため、古くから神道の神である大国主と混同され、習合して信仰されている。七福神に含まれるため日本ではなじみの深い神・仏である。一般には米俵に乗り福袋と打出の小槌を持った微笑の長者形で表される。袋を背負っているのは、大国主が日本神話で最初に登場する因幡の白兎の説話において、八十神たちの荷物を入れた袋を持っていたためである。また、大国主がスサノオの計略によって焼き殺されそうになった時に鼠が助けたという説話から、鼠が大黒天の使いであるとされる。
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